先日自分で「流産」と書いておきながらどうも違和感があったので調べてみると、私の場合は「人工死産」でした。
やっぱり私の中では第2子を産んだんだという強い気持ちがあって、その産まれた赤ちゃんが無かったことになるのは嫌で。
19週と0日、あと一週間で6ヶ月になろうとしていたときの出産でした。
インターネットでいろいろ調べてみると、同じような経験をされた方が記録として詳細を残されていて、ちょっと自分もそうしようという気になりました。
同じ思いをした人がいるんだ、と思ったし心の整理にもなるし、またこれを読んだ同じような経験をした人が何か感じるかもしれないし。
チョーーー長くなると思います。
淡々と書ければいいのだけど。
泣きながら書くことだけは避けたい・・・。
1月2日
早朝にネコの盛り声で目を覚まし、しばらくしてから陣痛のような痛みに襲われ異常を感じ、夫を起こす。
「もうちょっと様子みるわ・・・。」
と10分おきぐらいに2回ほど痛みを感じたあと、お腹の赤ちゃんが大きく動いた拍子に子宮がブルブルッと震え、パーンと風船が割れたような感覚、直後に瓶から水をドボドボこぼすような感覚。
破水!!
すぐにわかって飛び起きて夫に救急車を呼ぶように頼む。
そこからパニックパニック。
このとき、破水してしまうとすぐに赤ちゃんがどうにかなると思い込んでいたのだけどそうじゃないのね。
あとから産院の説明書きを読んでいたら救急車も呼ぶ必要がなかったみたい。。。
検診に通っていて、出産予約も入れていた愛染橋病院に運ばれる。
酸素マスクをされていて、それを見た若い当直の先生が、
「なんで酸素マスクなんかしてんですか!?」
と救急隊員の人に激ギレ。
私が、赤ちゃんもうダメですか、と訊いても、今調べてますからッ、って激ギレ、
診察をし、
「お母さん、出血してるじゃないですか!?」
とまたキレられ。
知らんがなー!!と思ったその後、
「お部屋でご主人とお話してもらわないといけませんが、子供さんは1人でも大丈夫ですか。」
と一緒に連れてきた娘のことを訊かれたのですぐに「ムリです。」と答えるとまたしても、
「じゃー、ご主人とお話できませんよッ!?」
って激・激ギレ。
愛染橋病院の産科や周産期医療センター病棟は、患者の配偶者と両親しか入れないのです。
この人なんでこんなにキレてんだろー、と思ってたけど、その後部屋に移され、2時間ほど待たされたあと、「検査の結果が出ました」と言って説明に来たその先生は驚くほど別人のようにやさしく、慣れない出来事でテンパっていたんだ、と判断。
先生の説明。
「菌の感染による破水です。
22週以降の赤ちゃんは超早産という時期で、法律により、なんとか赤ちゃんを生かそうと頑張らなければなりません。でもお母さんの週数では赤ちゃんをあきらめてもいい時期です。
この週数では赤ちゃんの肺が出来上がっていないのでお産をしても死んでしまいます。
100パーセント言い切れないんですが、羊水がほとんどない状態なので、このままお腹に赤ちゃんがいてもそのまま死んでしまうか、生きたとしても寝たきりです。
ご主人と相談してどうなさるか決めてください。あの、今日じゃなくてもいいんで、ゆっくり決めてください。」
暗に赤ちゃんはあきらめてください、ということを言われたんだけど、先生も自分じゃ決断できない、といった模様。
「私が動きすぎたからですか?」
としつこく訊くと、それは関係ない、これはお母さんのせいではなくどうしようもなく仕方ないことです。と。
「担当の先生が明日来るので、違う医師の意見も訊いて決められたほうががいいと思うので明日相談してください。」
といちどはあきらめることを決心したものの、煮え切らない若い先生の態度と説明不足、お腹の赤ちゃんもどういう状態なのかわからないままで一日待つのは嫌だったけれど、そう言われてしまったので、この日はただただ涙を流して過ごしました。
1月3日
担当の60歳ぐらいの女性医師の説明を受ける。
お腹の中ではまだ赤ちゃんが元気に動いていたので、お腹の中でこのまま生かすことはできませんか、と訊くと、
「赤ちゃんは羊水を飲んで肺を育てます。その羊水がないということは肺が育たない、人工羊水も試みた例はあるけれど、うまくいった例は報告されていません。」
と、この週数での破水で赤ちゃんが健康で生まれた例が報告されていない、生きて誕生する確率も限りなく低い、というようなことも説明されやはり赤ちゃんをあきらめることを決意。
この先生が担当で良かった。
後で調べると、初期流産と違い中期は母親側に原因があることが多く、破水の場合は赤ちゃんがまだお腹で生きているので、病院側は当然その最後の決断を赤ちゃんの両親にゆだねます。
堕胎を決意した母親は後々、「もしかして堕胎をしなければ、赤ちゃんは元気に産まれたのではないか?」と、一生自責の念をぬぐうことができないのだそうです。
破水するまでに何故もっと体を大事にしなかったのか。
もっと早くに病院に行けば赤ちゃんは助かったのに。
という気持ちはこれからも一生背負うとは思いますが、この先生はネットで読んだほかの病院の先生と違い、比較的きっぱりと中絶を勧めました。
それが私には今から考えるととても救い。
「直接の原因は菌の感染でも、やっぱり、私が無理をしたからこんなことになったのですか。」
と訊くと、
「疲れて抵抗力が落ちて・・・ということはあると思います。疲れると風邪をひきやすくなったりするでしょ?」
とサラッと答えてくれはりました。
これが、年の功です。
でもこのほうが、ヘンに気安めで「お母さんのせいじゃない。」と言われるよりずっといい。次につながるし。
ここからはもう展開が早いです。
「中期中絶術計画書」という紙を渡され説明を聞く。
それによると、2日に渡って2回子宮を膨らませるために子宮に木の棒を入れるとか。
で、3日目に膣に陣痛を促進する薬を入れてそのままお産をする。
という。
説明や同意書のサインを終えるとゾロゾロと年配の看護士さんが現れ、赤ちゃんの火葬の説明。
「あくまで希望によりますが・・・。」
と葬儀屋さんの値段表を渡され、棺に入れる物の準備の説明など。
「今日お産をされた患者さんは、もう忘れたいから、と言ってその場での処分をお願いされましたので、ホントにお母さんの希望でいいんですよ。」
と言われ、そんな、自分の子を臓器のように扱われるのは絶対イヤだったので、ちゃんと火葬の手続きをし、元気に産まれた赤ちゃんと同じように、写真撮影、手形、足形、産後は退院まで赤ちゃんと過ごせるように頼みました。
夫に頼んで家から漫画の本(またまた友達が持ってきてくれていた連載漫画雑誌KISS)を大量に持ってきてもらい、この日から病室で漫画を読みふける。
夫も病院に置いてある「GTO」や「犬夜叉」を読みふける。
検温に病室に入ってきた助産士さんは無言で漫画を読みふけっている夫婦をみて絶対引いていたと思う。
でも意識を違う方向に持って行かないと気がおかしくなりそうだったので。
それでも急に涙があふれてくるたびに夫が慰めてくれたのだけど、後々繰り返すうちに夫は、
これって放っておいた方がいいんだ。
ということに気付いたらしく、
泣きながら漫画本を読むヨメ、その隣でそれを無視して漫画本を読む夫
という異様な光景にやっぱり看護士さんや助産士さんはドン引き。
そしてこれは、分娩直前まで続いたのであった。
夕方に子宮に棒を入れるため、診察室へ。
もうこの時点で超音波を見せてくれません。気を使って。
お茶のときに付いてる和菓子を食べる木のフォークなような棒を子宮に7本入れました。
こーれが痛いのなんのって。
「ちょっと引っ張るねー。」「いでー!」
涙ちょちょぎれました。
でも痛さで涙が出るというより、赤ちゃんを死なせるためにする作業でなんでこんな痛い思いしなければ!?という辛さのほうが大きかった。
「子宮口が大分開いてるからもう何もしなくてもすぐお産が始まるかもね。」
と言われたけれど、娘の時もそう言われてなかなかだったのを覚えていたので、
それはないね、
と思いました。
1月4日
毎日朝晩、検温に来る助産士さんが赤ちゃんの心音を聴く機械を持ってきます。
これはお産が近づいた妊婦さんや切迫流産や切迫早産で入院した妊婦さんへ赤ちゃんが無事かどうか聴くものなのですが、私も出産直前まで赤ちゃんが生きていたことを確認したかったので毎回お願いしていました。
いっつもいろんな助産士さんに
「つらいですよ。」
「もうやめたほうがいいですよ。」
と言われながらもお願いしてましたが、最後には本気で、やめたほうがいい、と言われて、お産前日からはやめました。よかったのに。もう毎回戦うのが面倒くさくなって。
でも本当に元気に動く子だったので生きてるかどうかは機械を使わなくても最後までわかってたけどね。
この日は赤ちゃんが着る産着の型紙や布、裁縫セットを病院が用意してくれたので、希望して、ずっと縫ってました。
20cmのベビー服!!
ヤル気を出して、出来上がった産着と帽子に細く布を切ってフリルを付けました。
後で、
「フリルを付けたお母さん、初めてですよ~!!」
と褒められました♪
ほんでやっぱりお産は始まらなかったので、診察室で棒を入れる作業。
しかし、子宮口が思ったより開いていたので何回やっても棒が出てくる。
もーーーーーッ!!!痛いのなんのッッてッ!!!!
こーれは、ホンマに痛くて泣いた。
「イターッ!!」
ってゆったもん。
結局無理で風船をいれました。
これがまた・・・!!うー・・・。
ほんでまた、「すぐお産はじまるかも。」って先生に言われる。
イヤイヤ、ところがどっこいなのですよ・・・。
せめてお腹の赤ちゃんに最後に母親らしいことをしてあげようと、夜中に子守歌を歌ってあげました。
そしたら涙がでてきました。泣きながら歌いました。
私の部屋は母体胎児集中治療室というところで、比較的隔離されていたのですが、きっと廊下に響き渡っていたのでほかの病室のひとにとってはホラーだったと思います。
1月5日
毎日睡眠薬をもらって飲んでいたけどいつも1時間ぐらいで目が覚め眠れず、この日もベッドでうだうだ過ごしていたら、朝4:00に携帯にメールが。
SMA☆hit&run
というところから。
朝方になんやねん、おもてたら、16年ぶりUNICORNライブのチケット情報やがなー。
とてもそんな気になれない。
・・・と思いつつ予約。
ヒマやったしね。抽選に外れたけどね。
朝10時、いよいよ分娩室へ呼ばれる。
中絶なので、部屋は個室。なんにもない、質素な部屋。夫と入る。ちょっと虚しい。
膣剤を入れて陣痛を待つ。
左右からは「いたーーーい」という母親のハデな悶絶の声と「おんぎゃー」という赤ちゃんの産声、助産士さんや先生の応援、の連発。
盛りあがっとんなー、と気にせず夫とリラックスしながら読書(漫画)。
寝転んでお腹をさわると、羊水がほとんどないので赤ちゃんがどこにいるかわかるんですよ。
っていうか胴体つかんで夫に触らせてあげたりしてました。
夫は赤ちゃんの胎動を感じたことがなかったので。
3時間後に陣痛。
助産士さんが1人ついてお産が始まる。
娘の時とちがってスムーズ。
2回いきんだだけで赤ちゃんが降りてきました。
すぐに出せたのだけど、出してしまったら赤ちゃんが死んでしまう、と思い、やめてしまった。
3回目にうーーん、でスポーーンと。
夫が「あっ!!出たー!!」とコーフン。
夫は娘のときは仕事で出産に立ちあえなかったのです。
夫によると勢いよく出すぎてシュルシュルっとブーメランのように回転し、ヘソの緒に引っ張られて戻って来たそうです。
助産士さんに赤ちゃんが産まれたらすぐに抱っこさせて欲しいと頼んでいたので、ヘソの緒を切ってすぐに抱っこさせてもらいました。
カンガルーケアと言って、赤ちゃんを洗い流さずそのまますぐ胸に抱くと、親子の絆がより深くなるんですよ。(ホントはお母さんも素肌で胸に抱くんですけど。)
当然、もう息はしていません。
260g、23㎝、両手の平に乗る、きれいな顔の男の子でした。
とても安らかな顔をしていました。
産毛も生えていて、指も手も、爪もきれいに出来上がってました。
肌はまだ完全じゃないらしく、真っ赤で触るとカエルのようにぷにょぷにょしていました。
担当の先生がやってきて、
「おかあちゃんの体を傷つけずにきれいに産まれましたよ。」
と言ってくれ、赤ちゃんを抱いて、産んであげなられなくてごめんなー、とわんわん泣き叫ぶ私たちに助産士さんが咄嗟に、
「そんなことないですよ!!」
と言ってくれました。
病室に私が作った産着を着た赤ちゃんが、元気に産まれてきた赤ちゃんと同じように、出産前に決めておいた名前の札の付いたベビーベッドに寝かせられて運ばれ、ウチの母もやってきて、撮った足形や手形をみてはしゃぎ、母は
「男前やんかー、いやー、もったいないー。生きてるみたいやなー。」
と言い、看護士さんも助産士さんたちもみんな生きた赤ちゃんのように扱ってくれ、
本当にみんなが元気な赤ちゃんを迎えたかのような錯覚に陥りました。
退院までの間2日あったのですが、その間に病室に来た看護士さんがこんなことを言ってくれました。
「赤ちゃんはお母さんを選んでお腹に来るんだけど、急にやーめた、って言ってどっか行って、また帰って来たりするんだって。」
そして毎回、普通のお母さんのようにオッパイを絞りに来てくれました。
赤ちゃんが天国に持っていけるように、私の匂いを忘れないで迷わず戻ってきてもらえるように、小さな容器にオッパイを、一人目に続き出ないオッパイを、うんにゃあ~~っと、絞り、ナントカ、8分目まで入れて、赤ちゃんに握らせました。
1月7日
退院の日が赤ちゃんの出棺の日だったので、娘のおさがりのおくるみを巻いてベテランの看護士さんが
「いきましょうね~。」
と抱いて地下の霊安室まで連れて行きました。
お焼香をし、天国にもっていくお菓子、お花、私達家族の写真、手紙、オッパイ、娘が気に入っていたアンパンマンのぬいぐるみを入れ、最後におでこにチューをしてお別れをしました。
ベテラン看護士さんが、みなさんが折ってくれたであろう折り紙の奴さんを棺にいれてくれ、
若い看護士さんが泣いてくれていました。
愛染橋病院の看護士や助産士さんは、すごく数が多く、てきぱきとしていて点滴や注射も上手で、同情しすぎず同情してくれ、人間ぽくてやさしくて、ホントにキッチリ教育されているのだな~、と思いました。
次に授かれたとしたら、きっとまたここへ!と思いました。
個人病院に比べて安いし、周産期医療センターもあるので途中で万が一母子に何かあっても安心だし。
斎場での火葬を終え、お骨をもって娘を保育所へ迎えに行くと、久しぶりに会った娘はすこし大人になっていました。
親がアホやと子供は賢くなるんだな~、と情けなくなりました。
家に帰って、夜中に目が覚め、夫と娘の寝息が両端から聞こえてくるだけでとても安心して眠れます。
昨年、飯島愛さんが亡くなったというニュースを観て、年が近いこともあって気になり、孤独とは人間をこんなにも壊してしまうものなのか、とゾッとした覚えがありますが、夫と娘が側にいるだけでどんなに救われたことかと思います。
なんとなく家の中の空気が変わりました。
たまにお骨に話しかける娘、お姉ちゃんの顔になっています。
不意に誰かに赤ちゃんの話をしているとき、娘のことを「上のお姉ちゃんがね・・・」と言ってしまいます。
夫とはしたこともない会話をいろいろじっくりすることが出来ました。
時々悲しくはなりますが、前に書いたように、私は自分だけが悲しいと思い、夫にしんどいしんどいと訴え、慰めてもらっていました。
でも夫もすごく悲しんでいて、自分が体を痛めていない分どうしていいかわからず苦しんでいるんだ、ということに気付きました。
男は弱音なんて吐けないしね。
娘の前でもボロボロ涙をへーキで流す私。
私が泣いていたら娘は誰に頼ればいいというのか。
母親は子供の前で泣いたらアカン!とウチの母に言われました。
もう、何が何でも前を向いて生きなければなりません。
人間は忘れていけるから生きていけるのだそうですが、忘れてもここに書いたことでまた思い出せると思います。
忘れて、忘れないようにしたいです。
そしてホントに大作になってしまいました☆
この大作を読んでくださった方、ありがとうございました。
それから、これから赤ちゃんが欲しいと思っているかた、妊娠されているかた、決して無理はダメですよ!少しでもおかしい、と思ったら病院へ。
私も、自分は元気な赤ちゃんを産むんだ、と信じて疑いませんでした。
そう思っていた分、本当に抱える辛さは重いです。
今から思えばこうなる兆候は破水をする前からあったのです。
目の前にあることに必死で本当に大切にするべき物を失ってしまいました。
本当に大切なことは何なのか、起こってしまってから気付きます。
そんな思いをされませんように・・・。